武田信玄の不幸な出来事
NHK大河ドラマ 「風林火山」~天才軍師・山本勘助 を見られたでしょうか。武田信玄は上杉謙信との川中島の4回にも及ぶ戦いでもその雌雄は決せず、お互いに疲弊したまま織田信長が天下人になってゆきます。テレビでは第4回目の川中島の合戦で、山本勘助が亡くなるところで終わっていますが、その後、信玄は跡継ぎ対策に失敗し、信玄の側室の子、武田勝頼で滅亡してしまいます。
( 参考文献 武田家滅亡に学ぶ事業承継 北見昌朗著 )
(1) 親を追放したが、自分の子も自害させてしまった
武田信玄の父、信虎は次男の信繁(のぶしげ)をかわいがり、長男の信玄を疎んじたために、信玄と対立して、信玄と家臣団によって駿河に追放されました。 家督をついだ信玄には、正室三条夫人との間に嫡男義信が生まれます。義信には、その時に同盟であった今川義元の娘を正室に迎えます。
しかし、その後、勢力範囲の移り変わりにより、信玄は今川義元との同盟関係を破棄して織田信長と同盟を結ぼうとしました。義信は、妻の実家である今川義元を裏切ることに反発して、父信玄の暗殺を計画したのです。しかし暗殺計画は発覚し、甲府の東光寺に幽閉され、2年後30歳で自害することになります。
父信虎と不和であった信玄は、またも、同じように自分の子義信とも不和になりました。事の良し悪しは別にしても、自分のしたことは、同じようにして、また、次の世代へ必ず跳ね返ってくるものだ(因果応報)と肝に銘じておき、それを考えた上で現在の行動を判断することが必要なのでしょう。(次回に続く)
やめない社員研究所 原川 修一